エドワード・シャイルサーカスの団長であるエドワード・シャイルは、再三に渡ってスーに対し、『女神の空中散歩』の演目の前に真鍮の輪をくぐり抜けて見せるのを止めるようにと忠告した。
しかし、シャイルの28番目の妻バイオレットは、真鍮の輪をくぐりぬ けるのをやめただけではスーの容疑は晴れはしないと主張した。
バイオレットは、スーの演目で使用されている命綱をわざと切って彼女を落下させてでもしなければ、彼女の命とエドワード・シャイルサーカスの名誉を守れないだろうと主張したのだ。

そんな中、1908年、エドワード・シャイルサーカスは、ヴィクトリア女王とロイヤルファミリーに招待を受け、バッキンガム宮殿の門をくぐった。
サーカスは、数々の演目をこなし女王を大いに楽しませたが、この日の大トリの演目であったスーの『女神の空中散歩』は、彼女の生涯最後の舞台となってしまったのである。
宮殿の天井に届くかと思われる程上昇したスーは、オーケストラの演奏する曲に合わせてゆっくりと舞い、軽やかに降りてくるはずであった。
ところが、ちょうど半分ほど上昇したあたりで彼女は突然悲鳴をあげ、急降下し、オーケストラのグランドピアノの上に叩き付けられて即死したのである。


バイオレットの計画により、スーの命綱に細工がしてあったとされる説が一番有力だが、しかし一方で、スーが新しい演技を試そうとして失敗したのではないか、という説もあった。
名声は、黙っていて手に入るものではないと彼女も知っていたのであろう。
いつまでもゆらゆらと優雅に舞っているたけでは飽きられてしまうと漏らすようになっていたスーは、一番下っぱの小人の道化リトル・タタンにだけは『宮廷のショーでは、急降下をご披露するわ』と言っていたという。
ただし、これも、あとでバイオレットがタタンに言わせたという説もあるのだが…。


スーは、勿論魔女などではなかったが、同時に女神でもなかったのである。
ポスターの元になったポートレートは、スーのお気に入りの一枚だった。