前へ



次に二人が会ったのは、翌年、春のことだった。
去年の暮れから雲行きが怪しくなった魔王軍。
どうやら勇者が力をつけていよいよ魔王を倒しに来ると、そんな噂が流れに流れ、魔王の城に届く頃。
惑い慌てる下々どもを遠くの山へと逃げさせて、腹心たちと居城に残り、魔王は勇者を待っていた。
冷えて湿った霧の風。
悲しい匂いを運んでは魔王の城に流れ込む。
魔王の鼻に届くのは苦くしょっぱい血の臭い。
魔王は玉座で目を閉じて、じっと耳を澄ましてた。
いつか悲しい匂いとともに琴が聞こえやしないかと。
突然、風がを変えた。
甘い、甘ぁい蜜のに。
魔王は黙って目を開く。
やがて待ってた足音がなぜか一人でやってきた。
お腰に銀の竪琴つけて、両手にいっぱい、花持って。

「魔王陛下におかれては、ごきげん悪しく、恐悦至極。」

あの懐かしい『 人間 』が魔王の前に立っている。
血反吐のついた口の端ににやりと笑みを貼り付けて。
魔王はなぜか微笑みが浮かんでくるんで戸惑った。
そこにいるのは誰よりも憎まにゃならぬ敵なのに。

「……仲間と勇者はどこにいる?」

魔王は静かに問うてみた。
すると詩人はどういうわけか、肩をすくめてこう言った。

「あの子たちならいったん町に戻って回復してますよ。
 準備万端整えて、明日にゃあここへ来るでしょう。
 強いあんたと戦う前に傷を癒しているんです。
 ご臣下がたはあらかた倒し、もはや邪魔する者もない。
 あとはあんたと戦えば、全てが終わりを告げるはず。」

詩人はしごく平然と語り聞かせたもんだけど。
ちょっと不思議に思えたもんで、魔王は詩人に聞いたんだ。

「お前は仲間と行動を共にしなくてよいものか?」

すると詩人は首を振り、はは、と笑ってこう言った。

「どうも、あんたはお優しい。
 ご心配なく、魔王様。
 なんせあっしは力が弱い。かわりに魔法は強いがね。
 あんたにゃ魔法は聞かないと小耳に挟んでおりますよ。
 だからあっしは残念ながら最終戦じゃ役立たず。
 いまさら怪我をしてたって、誰も気になどしませんや。」

そう言いながらこの詩人、酷く優しく微笑んだ。
まるで何とも寂しげに別れを惜しむかのように。
そうさ、こいつは良くできた英雄譚の終幕だ。
あとは勇者が悪者の魔王を倒すだけなのさ。
旅の終わりにゃ華々と幕が下りるよ。
そうだろう?
それでめでたし、人々は楽しく暮らすことだろう。

「もしも戦が終わったら、勇者と旅のご一行、つまりあっしの仲間らはそこで旅を終えるはず。
 だけどあっしは一人だけ、明日も旅人なんだろう。
 あたしの旅が終わるのはいつかくたばるその日だけ。
 こいつぁ、とんだ喜劇だね。
 どうだい、笑える話だろ?」

詩人はにやりと笑いつつ、両手を広げて見せたとさ。
いっぱい持った花たちがばさりはらりと零れ落つ。

「我は悲劇と感ずるが?」

魔王はぽつり、つぶやいた。
ふ、と鼻から笑み漏らし、詩人は両手を降ろしたよ。
魔王の城まで続いてる険しい岩の道筋に幾輪だろうか、落ちている。
……詩人が落とした野の花が。
少ししなびた野の花が。
詩人は思い出したかのように口を開いてこう問うた。

「明日、最後の戦いで、何をお聞かせしましょうか?
 さっきお伝えしたとおり、明日のあっしは役立たず。
 だから皆の後ろに立って、戦歌いくさうたでも歌おうと、町へと帰る仲間らと笑い話をしてたんで。
 しばらくぶりにお会いしてあんたと話をしていたら、何だか急にむらむらと歌をやりたくなりました。
 笑い話を本当にしちまいましょう、この際だ。
 戦の歌に限らずに……せっかくだから、魔王様、聞きたい歌はありますか?」

魔王はちょっと考えて、それから答えて言ったんだ。

「そうだな、『 恋 』の歌がいい。」

まるでいつかのようだった。
いまだ詩人が敵だなど知るよしもない頃のよう。
詩人はさすがに吹き出して、苦笑交じりに答えたさ。

「陛下、そいつぁいけねぇや。
 殺し合う日に歌うんだ、いくら何でもそりゃあない。
 やっぱり戦歌いくさうたがいい。ちょいと色気はないけどね。」

魔王はしばらく納得いかず、不平不満を言ったけど。
終いに詩人はしおれた花を置いてそのまま去ってった。
明日は絶対どうしても戦の歌をやるってね。
月が昇って日が沈み、一夜明けたる戦の日。
詩人が昨日言うとおり、勇者が城にやってきた。
なるほどいつだか詩人の口に上ったとおりの娘っ子。
魔王の前に立ったのは、たった五人の敵だった。
まずは筆頭、勇者様。
巨大な斧を持つ戦士。
素早さ自慢の盗賊に、華麗に槍をさばく騎士。
そしてもちろんしんがりに控えたるのはあの詩人。
魔王にすればちっぽけな『 人間 』の群れに過ぎないが、こいつが何とも手ごわいらしい。
さぁ、いよいよ決戦だ。
息もつけない戦いの背後に流れる戦歌いくさうた
それは強くて勇ましく、酷く鼓動を跳ね上げる。
かき鳴らされた弦からはときどき風刃かざはが飛び出した。
無論、魔王の体にはちっとも届かないけれど。
戦は魔王が劣勢だ。
魔王の爪を盗賊がするりするりとすり抜ける。
そうするうちに横からは闘士が槍で突いてくる。
戦士に炎を飛ばしたが、強い体で耐えられた。
しまいにゃ勇者の一撃が魔王めがけて飛んできた。
こいつはどうにも分が悪い。
魔王の衣は剥がれ落ち、体のあちらこちらから血潮の滝が噴いている。
自慢の角はぽっきりと折れて地べたに転がった。
もう戦いは終盤だ。
どんな阿呆の目にだって勝負の行方は明らかさ。
じきに魔王が死ぬってときに、詩人が突然、手を止めた。
何か考え込むようにしばらく下を向いててさ。
そうして歌い出したんだ。
銀の竪琴かき鳴らし、声を浪々、張り上げて。
その場に流れ出したのは、大衆的な恋愛歌ラブソング
甘くて、けれど切なくて、ふわりと軽く、愛らしく。
そのご陽気な歌声の場にそぐわないことったら!
勇者なんかはギョッとして思わず振り向いたんだって。
他のお仲間さんたちも詩人の正気を疑った。
けれど魔王はただ一人、笑顔を浮かべていたらしい。
自分の首に勇者の剣がぐっさり刺さっていたのにね。
そして、次の瞬間に。
ついに滅びのときが来て、魔王の命の火が消えた。
最後に耳に入れたのは詩人が歌う恋の歌。
魔王はゆっくり倒れ伏す。
どうと倒れた地響きは遠くふもとの花野まで轟き渡っていったとか。
魔王が滅びた証のように、世界の空が晴れ渡る。
人の世界を蝕んでいた淀みもすっかり消え果てた。
使命果たした勇者と友は意気揚々と肩を組み、国に帰っていったとさ。
国では皆、喜んで、勇者たちを出迎えた。
人のお城じゃ楽隊が彼女の偉業を称える歌を天まで届けていたという。
世界は平和になったんだ。
めでたし、めでたし、よかったね。
一人残らず晴れ着着て、祝いの歌を歌ってる。
大人も子どももありゃしない。
皆、お祭り騒ぎだよ。
……おやおや、そうでもないようだ。
町のどこかの片隅で、ひっそり響くこの歌は?
ずいぶん暗い歌声でまるでお葬式のよう。
それは切ない失恋歌。
破れた恋の痛みを嘆く、甘ったるい失恋歌。

そうとも、恋の歌なんだ。けれども鎮魂歌レクイエムなんだ。



次へ