「何をお聞かせいたしましょうか?」
「そうだな、『 恋 』の歌がいい。」
ときどき交わすやり取りはいつものままのようだけど。
今日もふいっと消えたきり、詩人は城に戻らない。
それでも魔王は
今じゃすっかりあの『 人間 』は無二の友だと言うようさ。
それから何日経ったかね。
うらうら眠い昼下がり、詩人が城へやってきた。
しかし詩人は旅装も解かず、突然、魔王に言ったのさ。
「さても偉大な魔王様、陛下にゃ夢はありますか?」
魔王はきょとんと答えたさ。
「『 夢 』があるとはどういうことか? 眠りの中に見る、あれか?」
魔王の言葉に詩人は首を振り振り笑って言ったんだ。
「いいえ、そいつのことじゃなく。
そうさね、これからこうしたい、一度はやってみたいこと。
遠い未来のいつかにはぜひとも叶えてみたい夢。」
魔王はちょっと考えて、小さな声で言ってみた。
「そうだな、『 恋 』をしてみたい。」
それから詩人に問いかけたんだ、お前の方はどうかって。
詩人は遠くを見るような眼差しをしてこう言った。
「そりゃあ、実はね、魔王様。あなたと旅がしてみたい。
あっしは旅を止められぬ。きっと死ぬまで止められぬ。
けれど陛下はこの城を一歩も離れることはない。
あっしは旅もあなたのこともどっちも好きなものだから、一緒に旅してみたいんでさぁ。
きっと叶わぬだろうけど。」
詩人はちょっとうそぶくように冗談めかして笑ってた。
それから旅の衣を脱いでいつもの歌を歌ったさ。
ちょうどその頃だったかね?
山から下界に下りたまま戻らぬ魔物が増えたのは。
コウモリ婆にヤギの騎士。
みんな出たきり帰らない。
魔物らの身に何事か、きっとあったに違いない。
魔王はやはり王だから、臣下の行方が気になった。
そこで下界の事情に長けた誰かに問おうと思い立つ。
そうだ、一番物知りなのは、きっと詩人に違いない。
だって詩人はいつだってほうぼう旅しているからね。
魔王は詩人の帰りを待って、さっそく問いを投げかけた。
何か知ってることなどないか、試しに聞いてみたわけだ。
そしたらそしたら、そうしたら。
旅から戻った詩人の口は意外なことを言ったんだ。
「そいつは……、偉大な魔王様。
きっと勇者のせいでさぁ。
天が定めた導きを受けて生まれた聖なる勇者。
そいつが魔物を敵として、力をつけてきたんでね。
きっと戻らぬ皆々様は、勇者に殺されたんでしょう。」
これにゃ魔王も驚いた。
どうしてそんな大事なことを今まで黙っていたんだろう。
言葉にするよりなお早く、魔王の瞳が詩人に問うた。
すると詩人は切なげに、眉根をひそめて、こう言った……。
「どうして我が問う前に言わなかったとお怒りかい?
そいつぁ道理だ、魔王様。
だってあっしは勇者の仲間。天が定めた戦士の一人。
べらべらしゃべって仲間を売っちゃあ、名が廃るってもんでさぁ。」
旅の帽子で顔隠し、暗くつぶやく友の声。
魔王は言葉もなくなって口を開いて固まった。
詩人は魔王をチラリと見上げ、再び帽子の影の中。
何を思うか小さな声でこんなことをば言い出した。
「何も勇者は戦が好きで魔物を殺してるんじゃない。
悪の魔王を滅ぼして人の世界を救おうと、
天とやらから言われたことをバカ正直にも信じ込み、
それが正義と疑い持たず、皆のためにと剣を振る。
あなたの住まうこの城を目指す道々魔物を倒す。
ただそれだけの女の子。
歳はたったの十六歳。
まだあどけない風貌の世間知らずなお嬢ちゃん。
本当は野辺で花でも摘んで暮らしているのが似合う子だ。」
詩人がぼつぼつ語ってる。
辺りはしぃんと鳴っている。
信じられない気持ちを込めて、魔王はやっとこう聞いた。
「いったいお前は何ゆえに、我らの城に近づいた?」
すると詩人は答えたよ、帽子に隠れたまんまでさ。
「皆、使命を信じてる。
己の正義を疑わぬ。
悪の魔王を滅ぼすために、戦う我らは天の子と。
けれどあっしは疑った。
悪も、正義も、使命とやらも、絵空事かと思えてねぇ。
ご大層なる予言とやらがこれぽっちも響かない。
自分が殺さにゃならぬもの、その実態は何なのか?
この目で見たいと思い立ち、あなたに会いに来たんでさぁ。」
遠く静けき声色で詩人が告げるこのセリフ。
魔王はますます血の気も失せて、やっとのことでまた聞いた。
「何ゆえにその『 勇者 』とやらは、我ら魔物を殺すのか?」
問いをかけたる魔王の声に。詩人は一時、押し黙る。
それから詩人は帽子を取って、魔王を見上げて言ったのさ。
「魔物が狙いじゃありません、あなた一人が狙いでさぁ。
しかしあなたに着くまではずいぶん魔物が邪魔になる。
それに勇者はまだまだ弱く、あなたを倒すほどじゃない。
弱い魔物を次々殺し、自分を鍛えにゃならぬのさ。
……魔王よ、気づかずいるのだろうが、あんたの力は強いんだ。
このまま生きているだけで、
もしもこのまま魔性の淀みが世界を覆ってしまったら!
あっしら人は生きてけません、そろって滅びる他はない。
民を、臣下を守らにゃならぬ。
だから勇者を立てたんですよ、あんたを殺して我々が今後も生きていくために。
きっと、たぶん、そうだろう。
天が選んだ聖人なんて、きっと誰かの作り事。
たぶんどっかのお偉いさんが図って決めたんでしょうとも。」
いつのまにやら詩人の背後に盗み聞いてた魔物たち。
魔王がやれと命じる前に詩人めがけて飛びかかる。
しかし詩人はひらりとかわし、腰の竪琴、手に取った。
それは魔法の銀の琴。
天の予言の導きで、賢者が作った
ギィンと弦を鳴らしたら風の刃が敵を裂く。
詩人を襲った魔物の腕がゴトリと床に落ちたとき、魔王はカッと目を開き、思わず立ち上がったとさ。
生まれたときから守らにゃならぬ玉座を初めて空けたんだ。
詩人は背中を見せたまま、魔王に向かってこう言った。
「きっと次に会えるのはあんたを殺すときだろう。
あっしを殺したいのなら、一人っきりの今こそ機会。どうぞ
それからしばし、間があった。
魔王も詩人も動かない。
やがて詩人はため息ついて、魔王の城を出て行った。
それから魔王がどうしたか? さぁね、そいつはわからない。